流体力学とコンピュータ

岩崎宏

○ 流体力学と計算機

流体力学はどのような学問だとみなさんは想像されますか?

流体力学とは、水や空気の流れを研究する学問であり、水路や翼の設計のため に、水や空気がどのように流れるか、どのような力を及ぼすかといったことを 研究する、歴史は長いが同時に「古くさい」学問であると思われるでしょう。

確かに流体力学はそういう面もありますが、同時に「モダン」な学問でもある のです。現代の流体力学は、物体にいかに力がかかるかといった「古典力学」 的なものから、形やパターンが如何に生成されるかという「複雑系」としての 学問に変貌しつつあります。そして、これにはコンピュータと深い関係がある のです。

この拙文では、コンピュータとのつながりにより、流体力学が現在も最先端の 基礎学問になっていることを解説していきたいと思います。


○ カオス

「カオス」という物理現象を知っていますか?

例えば、パチンコのように、釘が沢山あって玉が何回も釘に当るような仕掛を 考えてください。しかけは釘だけの単純なものですから、玉の運動もニュート ンの運動方程式で完全に記述できます。ということは、「どれだけの速さで打 てばどの穴に入るか」わかるはずです。しかし、実際には思いどおりに玉を穴 にいれるのは不可能です。(そうでなければ、ゲームとして成りたちませんね。)

このように、仕組は単純で原理的には予測が可能なのに、実際には予測がつか ないシステムを「カオス」といいます。カオスは複雑さと単純さを繋ぐ、現代 物理学の中でも重要な概念の一つです。

カオスは日常で良く見られる現象であるにもかかわらず、きちんと理解された のはつい最近のことです。そして、このカオスを最初に「発見」したのは流体 力学者のローレンツでした。

彼は気象の変化を調べるために、上昇気流の振舞いを記述する流体方程式を簡 単化したものをコンピュータでシュミレーションしてしていました。その結果 を調べるうちに、天気が複雑な振舞いをするのは、複雑な原因がからみあって いるためではなく、実は簡単な原因によること、すなわち、複雑な現象でも単 純な方程式で記述できるものがあることを発見しました。すなわち「カオス」 の発見です。

最初は彼の研究はあまり注目されませんでしたが、その後、電気回路や生態系、 物性など違う分野でも、しくみは単純なのに複雑で予測不可能な現象が発見さ れるにつれ、カオスという概念は注目されだし彼の研究は20世紀の物理の中で ももっとも重要な発見の一つに数えられるようになりました。

このように、重要な発見が量子力学や相対論といった「モダン」な学問からで はなく、古臭いと思われていた流体力学から生まれたのは非常にショッキング なことでした。更に、彼のこの発見にはコンピュータが重要な役割をはたして います。彼の使った方程式は非常に簡単であるにも関わらず数学的には解けず、 コンピュータを使うことによってはじめてその性質が、つまりカオス的性質が、 明らかになったのです。

カオスという概念が流体力学と計算機の出会いから生れたことは非常に象徴的 で、現代の流体力学の姿をよく写しだしています。


○ 乱流

乱流とは文字通り「乱れた流れ」で、例えば、煙草の煙が複雑に渦巻いている 流れが代表的なものです。乱流は、飛行機の失速の原因になったり、船の抵抗 となったりする「悪者」で、乱流の制御が産業界からの要求であり、昔から研 究されてきました(量子力学で有名なハイゼンベルグも乱流の研究をしていた ことがあります)。また、核融合や超新星・銀河の形成、環境問題などの研究 でも乱流研究の必要性が認識されています。

しかし、乱流の全貌は現在にいたってもまだ明かになっておらず、それどころ か新しい問題を次々と生みだしています。乱流は「今世紀最大」の物理課題の ひとつなのです。

乱流が、「ただ」乱れた流れなら、つまり、気体を構成する分子のように「無 秩序」に振舞うものなら、これほどの困難はなかったでしょう。乱流は確かに ランダムな流れですが、この乱雑さの中に「秩序構造」(パターン)があること が最近わかってきたのです。「無秩序」と「秩序」が乱流の中に混在している ため、乱流の「理論的」な研究は困難を極めました。この乱流研究に画期的な 進歩をもたらしたのが、高性能計算機の出現でした。

最先端の性能を持つスーパーコンピュータを使ってシミュレーションおよび3 次元可視化することで、乱流をコンピュータの中である程度再現することがで き、今まで見えなかった乱流の姿が見えるようになりました。フラクタル、コー ヒーレントストラクチャといった新しい概念もここから生れました。

このように高性能計算機の出現で乱流の真の姿が現われつつありますが、完全 ではありません。まだコンピュータの能力が足りないのです。最高性能のコン ピュータを使ってもシュミレーションできるのは「小さな部屋の中で煙草の煙 が流れている」程度のもので、気象や、宇宙、核融合、環境問題等で必要な、 大規模な乱流のシミュレーションはとうてい無理なのです。

しかし、従来のベクトル型スーパーコンピュータの物理的限界を越えるパラレ ル型スーパーコンピュータの出現で希望が出てきました。多数のコンピュータ を同時に使って計算させるパラレルコンピュータのおかげで、本格的な乱流計 算が可能になりつつあります。最近では、地球規模の気象現象を「そのまま」 計算機の中に再現しようという「地球シミュレータ」という構想も始まりまし た。

こうして乱流研究は、従来の「理論的」あるいは「実験的」アプローチに加え 「計算機実験」という第三のアプローチにより、新しい局面にあります。数学 的に解けない複雑な構造、あるいは実験室では再現できないような巨大な現象 も、コンピュータを使うことで研究が可能となったのです。


○ まとめ

このように、歴史は長いが「古臭い」学問であった流体力学は、コンピュータ との出会いによって、「モダン」な学問に変りました。数値計算のおかげで、 調べつくされたと思われていた流体現象の中に未知の現象がたくさん見つかり ました。更にコンピュータの性能が上れば、現在でも予想つかない未知の現象 が見つかり、同時に解明されていくでしょう。

計算機実験という新しいアプローチは、物理、数学だけでなく、計算機の知識 も必要としますが、そのかわりに、今までにない飛躍的な進歩を我々にもたら してくれます。

計算機と流体力学の出会い。蜜月は始まったばかりです。


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http://cmpsci.s.kanazawa-u.ac.jp/~actrep/97/es.iwa.html
Last modified on July 22, 1998.